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2012年12月6日木曜日

ものすごいスピードで世界が廻り始めてるよ

はい、もちろん、言い訳です。

気が付いたら、11日に11月のメッセージを書いて以来、全く更新する事もできず、

今日まで来てしまいました、、、

で、確かに本当に周りが大忙しな事になっています。

今夜はアタシの周りで猛スピードで広がる様々な現象について記します。

大好きな大切な人が次々と亡くなっていきます。

11月の最初、何度も彼女の舞台を見続けた大女優・森光子さんがお亡くなりになりました。

「放浪記」は学生の頃から何度も拝見し、そのたびに、アタシも諦めない人生を
生きないと、、と、思ったモノです。

舞台で拝見する森さんはとっても大きいのに、ご本人はとっても小さくて、お茶目。

この印象の落差も大好きでした。

森さん、ステキなお芝居をありがとうございました。

そして、今夜、、10代からず~~~と見続けた歌舞伎役者・中村勘三郎さんがお亡くなりになりました。
まさか、彼が50代で天に召されるとは思ってもみませんでした。

初めて日比谷の日生劇場でお芝居というモノを見た時、
アタシはまだ、15歳ぐらいだったと思う。

この情熱、何だろう??と、その熱い思いは今でもずっとアタシの心に残っています。

大学生の時、通った歌舞伎座で貧乏学生が一幕だけ立ち見でみる席に通っていたら、
出番のない勘三郎さんが、勉強の為にと、若い衆を連れて
やはり立ち見で演目を食い入るように見守っていた事がありました。

天才というのは<努力>の上に成り立つんだ、自分を信じているからこれだけやれるんだって
多感な20代前半に彼の演技を見るたびに震えた自分を思い出します。

歌舞伎を身近なものにしてくれた勘三郎さん、ありがとうございました。

さらに、11月。

アタシにとって、誰にも変えられない大切な人を見送りました。
彼は、アタシが20代から40代中盤までの生活をず~~と注いだ会社の社長であり演出家。

彼の事は常に<カントク>と呼び続けました。

その生涯を<カントク>として捧げ続けた彼が現場で亡くなったと連絡が入ったのが
彼が亡くなった翌日の事。

そこからアタシはものすごいスピードで毎日をやりくる日々が続いています、、、、

2012年12月22日、冬至。

この日は、マヤ文明のカレンダーの終わりの日。
他の様々な文献やスピリチュアルな方々も云われるように
12月22日に向けて、
世の中は整理されている。、、、、

その整理は自然淘汰に近く、その先には新しい未来の<再生>が続く。

命が消え、逝ってしまった方々を愛しむように、
彼らと自分の繋がりをもう一度きちんと考え、
次へどうつなげていくのか、、、

それを考えた時、自分の生きる使命を感じる事ができると思う。

一人ひとつの命は壮大な歴史の中では小さいものかもしれない。

でも、どんな小さな命も命と命がつながっていけばそこには大きな大きなモノが
生まれていくとアタシは思っている。

だから、どんな人との出会いも大事にしたい。

大事にすることから優しさが生まれていく。

う~~ん、今日は最後まで<言い訳>っぽくなっちゃったなあ。



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